三浦淳

気が付けばキリンカップも間近であるが、我らが加地さんは召集されたものの調整中のようで、以前から加地さんの(というか右サイドの)バックアップがいないと言われていたジーコジャパン、加地さんがダメな場合はどうするのかと心配していたら、どうやら三浦淳でいくらしい。そうなのか。つまりジーコは左右両方のバックアップ要員として三浦淳を呼び続けていたのか。三浦淳も右はやりたくないんじゃなかったのか。でも代表は、別か。ポジションよりもとにかく出ることが大事か。結果を出し、スタメンに定着するためのチャンスとして。

ここである人が三浦淳を評した言葉を引用する。

だから、繰り返すがもっともっと上を目指してほしい。上とは、いうまでもなく日本代表だ。なぜ日本代表に定着しないのか。そこを考えてほしいのだ。アトランタ・オリンピックのときも、最後には代表から外されている。なぜなんだろう。僕が思うには、代表候補の合宿で、力を出し切れないのだろう。アピールするところで、おとなしくなってしまうのではないか。(中略)僕はあと一歩のところで終わってしまう選手を何人も見てきた。アツヒロだけは、「能力はあるのに……」という選手で終わってほしくないのだ。

三浦淳がジーコジャパンのスタメンに定着できないのは、合宿でのアピールが足りないということ以上に、もっと別の理由、「信じた選手は不祥事でも起こさない限り使い続ける」という監督の信念によるところが大きい気がするが、それにしても、確かにこのままではあと一歩のところで終わる選手の一人にになってしまうかもしれない。

三浦淳(続き)

引用した言葉の主は、元日本代表、山口素弘である。この言葉は、1999年に出版された本の中で語られた。つまり三浦淳は、かれこれ6年以上、なかなか代表のスタメンに定着できずに「あと一歩」のところを行ったりきたりしているのだ。

ペルー戦に三浦淳は先発出場するだろうか。三浦淳の公式サイトによると、三浦淳の代表デビューは1999年6月キリンカップのペルー戦、そして代表唯一のゴールは1999年6月南米選手権のやはりペルー戦なのだった。

三浦淳とペルーには、何か運命的なものがあるのかもしれない。もしかして22日のペルー戦で三浦淳は大活躍し、ついに「あと一歩」を乗り越えて代表のスタメンに定着することになるのではないか。

頑張れ、三浦淳!ピンポイントクロスを上げまくり、ミドルシュートを打ちまくり、フリーキックを叩き込んで代表の右サイドの座をつかみ取れ!

・・・ん?

カジオネア

私は加地さんだった。

私は待機していた。目の前のテーブルに置かれた電話が鳴るのを、ただひたすら待っていたのだ。

テレフォン・ブレーン。クイズ・ミリオネアで、テレフォンのライフラインを使用する時に電話に出て答えを教える、回答者の家族や関係者。今日の私は、それであった。知人がミリオネアに出場するというので、番組の収録が行われている時間、テレフォン・ブレーンとして待機していたのだ。

当然であるが、出場者である知人が並べ替えクイズを勝ち抜き、センター席に座ってみのもんたと対峙し、なおかつライフラインのテレフォンを使用しないかぎり、私の出番はない。出番がないまま収録が終わってしまうこともあり得、むしろ出番がないまま終わるテレフォン・ブレーンの方が多いわけで、しかしそれでも私が待機しているのはまるで、パスが出ず無駄骨に終わるかもしれないものの、味方のチャンスにはとりあえず縦へ長い距離走って前線に顔を出す、そんな加地さんのようではないか。

加地さんたる私の元に、テレフォンと言う名のパスは出るのか。どれくらいの時間が経過したのだろう、待ちくたびれた頃、ついに電話が鳴ったのだった。

「収録が終わりました」

それは試合終了を告げるホイッスルだった。知人はセンター席に進出できなかったのだ。残念だったが、少しほっとしたのも事実だ。仮に知人がテレフォンを使う電話をかけてきたとして、私は果たしてストライカーたる知人に、ピンポイントクロスをあげて正解と言う名のゴールをアシストできたのか、少し自信がなかったからだ。

なにしろ私は、加地さんなのだから。

我が家のサッカー評論家

家の者はもともとサッカーには興味がなく、私がTVで観戦しているのに付き合う程度で、だから最初はそういった人を相手にしばしばそうするように、オフサイドのルールについて説明したりしたものだが、今現在家の者がどの程度サッカーのルールや戦術について知っているのか、よくは分からない。だからTVを観ながら時々ぽつりともらす言葉は、冗談で言っているのか本気で間違えているのかよく分からないこともしょっちゅうで、例えば以前日本代表の試合を観ている最中にこんなことを言ったのだった。

「今日はジーコ来てるの?」

来てるだろ、そりゃ。なにしろ監督だ。ジーコの現役時代など知らない家の者は、もしかしたら彼のことをこんな風に思い込んでいるのではないか。

サッカーをよく観に来る人。

違うぞ、間違っている。ジーコは、日本代表の、監督だ。監督っていうのはなあ、戦術を練り、選手に指示を送り、試合の展開を読み、効果的な選手を投入し・・・っていや待てよ。もしかすると家の者は間違えたわけではなく、ちゃんと分かっていて皮肉を言ったのではないか。試合中、大声で指示を出すでもなく、まるで特等席で試合を観戦してるかのようにただ立ち尽くしていることが多いジーコに対して。

今日もこんなことがあった。ジェフ千葉対FC東京。FC東京のチャンス。アナウンサー、「加地のクロス!」。加地さんの蹴ったボールはふんわりと宙を舞い、長い滞空時間の末、ゴールライン遥か後方に直接落下した。家の者は嘲笑するように言った。

「これがクロス?」

家の者は実はだいぶサッカーが分かって来たのかもしれない。

○○こ

たらこ。

私の大好物。たらこと白いご飯があれば、他には何もいらない。生のたらこでまず一杯、焼きたらこでもう一杯。ここで唐突に焼きたらこにまつわる思い出話が始まる。

焼き網でピンク色に焼き上げた、もしくは手抜きで電子レンジでチンしたまるごと一本の焼きたらこを見ると、私は父を思い出す。父は焼きたらこが好きで、朝食によく食べていた。しかし私が焼きたらこで思い出すのは、朝食をとる父の姿ではない。

父のちんこだ。

最近の親子はもうそんなことをしないのかもしれないが、私が子どもの頃は和式の男用のトイレで、よく父と同時に用を足したりしたもので、便器に向けて差し出される父のちんこを見るたびに、子どもの私は思ったのだ。

お父さんのちんこは焼きたらこに似ている。

今思うと、ちんこが焼きたらこに見えるってどういうことなのか、自分の感性がよくわからないが、とにかくそう見えたのであり、だから朝食に焼きたらこを食べている父を見ると、お父さんが自分のちんこを食べている、などと思っていたのだった。

また、父のちんこはとてつもなく大きく見えた。実際に子どもの私のそれより大きかったには違いないのだろうが、とても同じ人間のものとは思えず、自分も大人になったらあれくらいになるのだろうかと想像してみるもののうまくは想像できず、つまりそれくらい巨大に見えていたのであった。

やがて思春期を迎えた私は、父と同時に用を足すこともなくなり、父のちんこを見る機会はなくなった。それでも「巨大な焼きたらこ」としてのその印象は頭から消えることはなく、焼きたらこを見るたびに父のそれを思い出し、記憶の中のその大きさと自分のそれの大きさを比較しては、まだまだ追いついていない、そんなことを考えていた。

気が付けば私は大人になり、身体の発育もすっかり止まっていた。身長はとっくに父のそれを追い抜いていたが、しかし依然として私のちんこは巨大な焼きたらこにはなっていなかった。

ある日、父が死んだ。

亡き骸の前で父との色々な思い出を回想するうち、私はあの巨大な焼きたらこのことを思い出していた。そして思った。

確かめるには、今しかない。

数十年ぶりに父のちんこを見た私は驚いた。それは巨大でも、焼きたらこでもなかった。しなびた、ごく普通の、私のそれと同じようなサイズのちんこが垂れ下がっていた。

たらこ。私の大好物。私の父の大好物。

反省

書いてしまってから、ちょっと後悔していたのだ。この、ブログだかなんだかよくわからないもののタイトルは「カジオログ」と言い、当然のことながら加地さんの名前を盛り込んで付けたのであり、でもだからと言って加地さんに関係ない私の日常的なことも書く、そう宣言はしていたものの、いくらなんでも加地さんの名の下に「うんこを漏らしそうになった」はまずかったのではないか。

加地さんとうんこを並べてしまった。片や日本代表の不動の右サイド。片やただの排泄物。しかも文脈から言って、ビチビチなそれである。どう考えても、まずい。加地さんに泥を塗るような行為だ。いや、泥じゃなく、うんこだ。

いるのかいないのか分からないが、いたとしたら読者の方も突然「うんこ」などという単語が出てきて不愉快になったのではないか。アクセスしたのが食事中だったらなおさらで、偶然にもメニューがカレーライスだったりしたら、それこそ本当の大惨事である。カレーとうんこは、並べてはいけない。

だから私は先日の記事を削除してしまおうかとも考えたのだが、一度出たうんこはもうひっこまないのである。あ、いや、私はうんこは漏らさなかったのだが、これはまた比喩なのであり、つまり一度載せた記事を削除したからといって、なかったことにはできまいと思ったのである。それで今日、釈明というか、反省の文章を、こうして書いている。

私がうんこばかり書いてうんこ野郎と思われるのは全然構わないのだが、そもそも「私」とは誰なのかなど誰も知らないのであり、そうするとあれを読んだ人はもしかすると内容をうっかり加地さんと結びつけて想像してしまうかもしれない。

うんこを漏らしそうになった加地さん。

違います。いや、わざわざ断ることでもないのだが、念のためだ。うんこを漏らしそうになったのは、私です。そもそも加地さんはアイドルだからうんこなどしない。って、それはたぶん嘘だけど。でも想像してみたら、うんこを漏らしそうになった加地さんって、ちょっと似合うような気もしてしまった。

とにかく私は反省している。今後一切、うんこの話を書くのはやめようと思う。ちなみに4日目の今日もまだ、私のおなかは油断ならない状態である。

BGM: TAKE CARE OF YOUR ONAKA (おなか大切に 98)

目測

目測を誤る。サッカー選手、特にDFの選手がそんなミスを犯せば致命的で、たとえば相手選手がゴール前にほうり込んで来たアーリークロスに対し、ヘディングでクリアしようとジャンプしたものの、目測を誤って頭がボールに届かず、所謂「かぶる」ミスを犯せば、走り込んでいた相手FWにボールが渡り、失点に直結するだろう。

私は昨日、目測を誤ってしまった。

もちろん私はサッカー選手ではないから、ボールのそれの話ではない。というか、つまりこれは比喩なのであり、「大丈夫と判断して行動したが、大丈夫じゃなかった」という話をしたいのだが、再び例えに戻るなら、私は昨日、飛んで来たボールはもっと緩やかであり、クリアするまでにはまだ余裕がある、と判断したのだが、それはとんでもない間違いだった、目測を誤った、そんなミスを犯してしまったのだった。

うんこを漏らしそうになった。

まだ、大丈夫だと思ったのだ。その徴候は緩やかであり、駅から家に着くまでは大丈夫、まだ余裕がある、そう判断して歩き出したのだが、それは間違いだった。球速は思った以上に速く、気がついたときはゴール前で大ピンチを招いていた。つまり私は、もう一刻の猶予もないのに、今から駅に引き返しても家までダッシュしてももう間に合わない、そんな危機的状況に陥ってしまったのだった。

九州地方の方言で、でうんこを漏らすことを「まいかぶる」と言うそうだが、つまり私は目測を誤り、まいかぶってしまうところだった。まいかぶって、ゴールデンゴールを献上。幸い最悪の事態は逃れたのだったが、本当に危ないところだった。

サッカー選手でなくとも、目測は大事だ。

靴下

ずっと以前から気になっていたものの機会がなく試せずにいたが先日入手したので使ってみた。足袋靴下。足袋のように、つま先の、親指を収納する部分が独立している、靴下である。

快適だ。

なんなんでしょう、この、足の親指一本が自由になっただけで得られる、心地よい開放感は。靴の中で足が自由な感じがし、靴を履いて歩いていても、足で確実に地面をとらえている感覚がある。まさに地に足がついている、という感じ。こんなに気持ちがよいのなら、もっと早く履くべきだった。

これと似たような靴下で、つま先部分を更に細分化し、5本の指全てが独立している、「軍足」などと呼ばれるものもあるらしいが、それはもっと快適なのだろうか。そういえば「松井秀喜です」でお馴染みの松井秀喜もそれを愛用していると何かで読んだ記憶があり、松井が使用しているものがこれなのかはわからないが、確かに野球用の軍足型ストッキングが売られている

ふと思ったのは、サッカー用のそれはないのか、ということである。松井以外にも、マラソンの高橋尚子、スケートの清水宏保などが使っているらしく、つまりあらゆるスポーツに軍足型の靴下は向いていると思われるのだが、どうやらサッカー用ストッキングとして売られているものはないらしい。

もしかして、まだ、誰も気が付いていないのではないか。実はサッカーにも軍足型靴下は向いており、軸足はしっかりピッチを捕らえ、蹴り足は微妙なボールコントロールを実現するはずなのに、まだ、誰も試していないのではないか。

やばい。気が付いてしまった。これはもしかして、一攫千金のチャンスなのではないか。作るか。サッカー用の、軍足。CMキャラクターはもちろん加地さんだ。加地さんが軍足ストッキングを履いて、矢のようなピンポイントクロスを供給。

え?ああ、じゃあ、ボールの軌跡は、CGで・・。

むしゃくしゃして買った

加地さん・・っていうか、どうしちゃったんでしょう、FC東京。前にも書いたが私はFC東京サポというわけではなく、あくまで加地さんサポなのでFC東京のことはよくはわからないが、加地さんのチームメイトが自らにプレッシャーをかけるといってとったこの行動はどうなんだろうか。

ただのヤケ買いじゃないのか。

ところで2枚で9万円もするTシャツって、一体どんなTシャツなんだ。1枚4万5千円。Tシャツなんて、高くてもせいぜい4千5百円くらいじゃないのか。10倍だ。10倍もするTシャツとは一体、どんな物なのだろうか。

サイズも10倍。

そうなのか。でかいのか。スタジアムのビッグジャージみたいなもんか。それなら値段が10倍でも納得だな、しょうがない。

2002W杯の思い出

5/2のコメントで「ヴァーチャルスタジアム」についての書き込みを頂き、それについて調べているうちに2002年W杯のことが懐かしく思い出され、真っ先に浮かぶのは、深夜、いや朝まで、チケットを取ろうとPCにかじりついていたこと、そしていつの間にかチケットを取るよりコラを作るのに夢中になっていたことなのだった。

2006年のW杯は、私たちにどんな思い出を残してくれるのだろう。って、気が早いか。そもそも日本は出れるのか。頼むぞ、加地さん。

懐かしのW杯フォトギャラリー

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