○○こ

たらこ。

私の大好物。たらこと白いご飯があれば、他には何もいらない。生のたらこでまず一杯、焼きたらこでもう一杯。ここで唐突に焼きたらこにまつわる思い出話が始まる。

焼き網でピンク色に焼き上げた、もしくは手抜きで電子レンジでチンしたまるごと一本の焼きたらこを見ると、私は父を思い出す。父は焼きたらこが好きで、朝食によく食べていた。しかし私が焼きたらこで思い出すのは、朝食をとる父の姿ではない。

父のちんこだ。

最近の親子はもうそんなことをしないのかもしれないが、私が子どもの頃は和式の男用のトイレで、よく父と同時に用を足したりしたもので、便器に向けて差し出される父のちんこを見るたびに、子どもの私は思ったのだ。

お父さんのちんこは焼きたらこに似ている。

今思うと、ちんこが焼きたらこに見えるってどういうことなのか、自分の感性がよくわからないが、とにかくそう見えたのであり、だから朝食に焼きたらこを食べている父を見ると、お父さんが自分のちんこを食べている、などと思っていたのだった。

また、父のちんこはとてつもなく大きく見えた。実際に子どもの私のそれより大きかったには違いないのだろうが、とても同じ人間のものとは思えず、自分も大人になったらあれくらいになるのだろうかと想像してみるもののうまくは想像できず、つまりそれくらい巨大に見えていたのであった。

やがて思春期を迎えた私は、父と同時に用を足すこともなくなり、父のちんこを見る機会はなくなった。それでも「巨大な焼きたらこ」としてのその印象は頭から消えることはなく、焼きたらこを見るたびに父のそれを思い出し、記憶の中のその大きさと自分のそれの大きさを比較しては、まだまだ追いついていない、そんなことを考えていた。

気が付けば私は大人になり、身体の発育もすっかり止まっていた。身長はとっくに父のそれを追い抜いていたが、しかし依然として私のちんこは巨大な焼きたらこにはなっていなかった。

ある日、父が死んだ。

亡き骸の前で父との色々な思い出を回想するうち、私はあの巨大な焼きたらこのことを思い出していた。そして思った。

確かめるには、今しかない。

数十年ぶりに父のちんこを見た私は驚いた。それは巨大でも、焼きたらこでもなかった。しなびた、ごく普通の、私のそれと同じようなサイズのちんこが垂れ下がっていた。

たらこ。私の大好物。私の父の大好物。

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